英語教育の一大問題
The doom of the old-school English education is looming large, isn't it?
英語教育の大問題は英語教育がないこと、英語の授業やレッスンや講義や講座やセミナーはあふれていても英語教育がないこと、活況を呈する英語市場とは裏腹に英語教育がないこと――もっともこの「英語教育」は以下の定義での英語教育。
この「必要」は英語教育上の必要で、英語学習を提供する側の便宜上の必要ではない。
「必要」と「必然」のない英語学習は習得、マスターのない英語学習――英語をマスターするにも、英語のいろんな部分を習得するにも「必要」があり、「必然」があるのです。
例えば関係詞 (relative)、関係詞をマスターするにはまず関係詞と他の接続詞(conjunction)の決定的違いをきちんと理解することから始める必要があります。その上で関係代名詞(relative pronoun)、関係副詞(relative adverb)、関係形容詞(relative adjective)の順番で学習を積み上げていく必要があります。
関係形容詞whateverを使わなくともanyとthat(関係代名詞)で同じ意味を表現できますが、whateverはanyより強意、whatever1語はany、that2語より1語減で簡潔、つまり関係形容詞whateverは「強調プラス簡潔」――関係形容詞は英語が関係詞で達成した生粋の技法なのです。
関係詞の学習が「決定的な違い」から発して「生粋の技法」に行き着くのも「文法プラス技法のことば」の必然性。
ところでマスターしているということはマスターしているということ――関係代名詞はマスターしているが以下の英文はよくわからない、なんて変なマスターはないのです。
The necessity to unite with other living beings, to be related to them, is an imperative need on the fulfillment of which man's sanity depends.
出典: Erich Fromm The Sane Society
同様に冠詞は苦手だけれど、仮定法は怪しいけれど・・・英語はマスターした、なんて変な英語マスターもないのです。また「文法プラス技法のことば」を「文法マイナス技法」でマスターできるわけもないのです。
そのためには、ここから始める必要のあるUnit1なのです。